子供の頃に欲しかったもの、 素直に欲しいと言えましたか?

 はてなブログの今週のお題、「子供のころ欲しかったもの」面白いテーマですね。

  • 欲しかったものが手に入った!それが時代を感じる懐かしい物のお話。
  • 物ではなく、能力や、家族関係だったりするお話 
  • 大人になってから手に入れてやったぜ、というお話
  • 欲しかったもの、それが今の自分につながってるお話

 パーッとみなさまの記事を読んでみると、上記のようなパターンがあるのかな?色々と共感出来るとこもあり、楽しい話題です。  

子供の頃、欲しいものを欲しいと言えたか?

このテーマ「子供の頃に欲しかったもの」を見た時にちょっとドキッとしました。考えて見たけれど、どうしても欲しいものってあったかな?是が非でも手に入れたいものってあったかな?そりゃ常日頃、ゲームやらおもちゃやら欲しいものは色々あった気がするけど、でも本当に欲しくてたまらなくてきちんと交渉して手に入れたことがあっただろうか?

 

振り返ると、僕は「本当に欲しい物を欲しい」と言えなかったのかな。

子供は自分でお金を稼ぐことが出来ません、ですので欲しいものがあるときは、親と交渉することになります。我が家は母親が主導権を握っていたので、母親と交渉するのですが、僕が欲しいと言ったものをストレートに買ってくれることはありませんでした。

 

自分が本当に欲しいもの要求すると烈火の如く怒られるのです。
「そんなものいらないでしょ」「これにしときなさい」「その年にもなってそんなもんが欲しいのは恥ずかしい」とか、「あんたにはまだ早い、使えもしないもの欲しがるな」とかね・・・

 

それに対抗するべくこちらも、色々なメソッドを使って説得を試みます。よくある「みんなが持ってるから」メソッド。これは必殺の「みんなって誰?ヨソはヨソ、ウチはウチ」で返されます。もちろん何も無しに要求する訳ではありません。勉強や手伝いで交換条件を付けてくれと頼みも込むも、「報酬があって頑張るというのは間違ってる」と言われます。

 

普通に諭されるならいいのですが、ヒステリックに怒られるのです。しまいには「あんたはワガママばかり言ってお母さんのことを考えない!」が始まります。何度も否定されると、ほしい気持ちより、怒られる方がイヤと言う気持ちになります。

 

 やがては知恵をつけ、母親が欲しがって欲しいものを推察し、その範囲内で要求する。とか一番欲しいもの否定されると凹むから妥協案で二番目のモノを要求する。の方向へメソッドを進化させて行くわけです。

 

 しかしこの大丈夫だろうと、思って持っていった2番目の妥協案でも、否定されるを繰り返していると、欲しいものを否定されるのはともかく、案を練る自分も否定された気持ちになります。

 

なので否定されても傷つかない5番目くらいの、すなわち自分でもたいして欲しくないもので済ませるようになりました。自分でも納得してはいないのですが抗議する力も、気力もありません。欲しいより傷つきたくないが勝るのです。

 

 誕生日とか欲しい物を主張する機会は用意されるのですが、嬉しさ半分、母親の要求を推察するクソゲーをこなさなければならないイヤな気持ちの入り混じったものでした。

 

いつからか「欲しいものを欲しい」と言う勇気をすっかり、失ってしまったのです。学習性無気力症候群の発露かもしれません。

 

 

欲しい物を欲しいと言えない弊害 

 

経済的な事情や聞き分けのいい子になって欲しいという教育方針は斟酌できますが、欲しいものを欲しいと言えないことは結構、人生に酷い影響を与えるのではないかと思います。

 

怒られたくないが為に、欲しい物を主張しない聞き分けの良い子を装うのです。
当然、聞き分けの良い子が良い人間であるとは限りません。

 

聞き分けの良い子 ≒ 抵抗を諦めた人間 の可能性もあるのです。

 

いわゆる、真面目系クズ の性質かもしれません。

 

更に問題なのが「欲しい物を欲しいと主張している人間」を憎むようになるのです。手に入れた物を羨むよりも、欲しいものを欲しいと言えることへの妬みが大きかったように思います。主張する人間に対して、異常に厳しくなります。出る杭を打つような人間、同調圧力の一部と化していくのです。自分が我慢していることをやるのが許せないという歪んだ感情です。

 

僕自身、この不具合のせいで大変な迷惑を掛けましたし、解消に大きな時間的コストを払ってきました。欲しいものは自分で手に入れることが出来ると理解するのに物凄く遠回りをしたように思います。

 

それでも、どうしてもベッドは欲しかった

さて、ちょっと暗い話になったので最後にストレートにテーマに沿いましょう。

 

小学校高学年のころ、ベッドが欲しかったのです。みなさんのブログを見るとベッドが欲しかった!という方が見受けられますね。僕も同じようにベッドが欲しかった。ホームセンターのちらしや、通販のカタログなんかを眺めて楽しんでました。ずいぶん長いことベッドが欲しいと願い、機会を見てベッドが欲しいと頼んでみました。都度、全否定で怒られることにはなるのですが・・・、この時は忍耐強く1年位かけてお願いした記憶があります。

 

ある日、学校から帰ると、母親が「ベッド買ったよー」と言うではありませんか。喜びいさんで見に行いった僕の目にしたものは・・・

 

白木のフレームに畳が乗っかった、もっさいデザインの畳ベッドでした。

 

僕はシルバーか黒で、電灯やら色々と機能がついたベッドが欲しくて、お願いしていた筈なのですが。なんでこんなダサいものを・・・、畳とベッドという中途半端さが許せんとか、大きなものゆえすぐに替えるわけにはいかない、即ち当時では一生に近い感覚、コイツと過ごさなければならないのか・・・という暗澹たる気持ちになり、がっかりしたのを覚えてます。

 

そんな事を口に出そうものなら怒られるのは目に見えてますので、モヤモヤした気持ちを抱えつつも、お礼を言って大はしゃぎで喜んでるフリをしておきました。シルバーや黒の機能的なベッドは夢と消え、大学入学までずっとそのベッドで、過ごすことになるのです。

 

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今も実家に帰るとその畳ベッドで寝ることになります。
朝目が醒めると、普段にも増して良く眠れたなと感じることもあります。白木のフレームはニスが経年変化して、いい感じの飴色になってます。

 

「ああ、僕はあまり好きではなかったけど、案外良いものだったか…」と思ったりもします。こうやって、あとから気づくこともあるんだろうけど、出来ればその時気づきたかったなあ。

  

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今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
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